同窓会

9月15日に「日本大学歯学部 47回卒後20周年記念同窓会」が行われました。

 

他の人たちから聞くとだいたいは卒後10年くらいで第一回が行われるそうですが、ウチの期は小さく複数の同期会は行われていたモノの、全体的なオフィシャルをやってこなかったのは、単に音頭をとる人間がいなかったからです。

たぶんホントは音頭を取るべき人間は僕だったはずなのですが、そういう事をやれる性格でも行動力もないし・・・
また、やはりこういうオフィシャルは日大に残っている先生でないとよくわかりませんね。

なので、名簿のひな形とかは作ったものの、素晴らしい行動力であれよあれよとここまでこぎ着けたのは優秀な同期でした。

おかげで、約130名中、懇親会へは約60名が出席となり、二次会でも約30名が出席しました。

 

お茶の水駅には数ヶ月前までたまに訪れていたのに、駅が大幅に改装中(特にお茶の水橋口で)で、降りた駅間違ったのかと最初勘違い。

日本大学歯学部の僕らが学んだ学舎も取り壊され、隣にあった日大医学部附属病院の跡地が日大歯学部附属病院として稼動しています。

   

今回は、その病院の方を一部開放して見せて貰いました。

   

面影も何もない。
そもそも日大歯学部に残ってないから、大学に残った連中より思い入れが少ないのだけれど。

 

そしてかつてぼろっちかった大講堂が-創設百周年記念講堂-として生まれ変わって、立派でした。

 

そこで同期の、日大だったり他の大学だったりで准教授など偉くなった先生方の簡単な講演。

いやー・・・・45歳前後だから当然と言えば当然なんだろうけど、同期から准教授とか出てくるとかみんな偉いなぁと思いますね。

別に価値基準が違うだけで、大学でそういう役職を持っているから偉いとか、街歯医者だから偉くないとか稼いでいるから偉いとかそう一概に言えるモノでは無いけれど、やはり「俺、この20年なんかしてきたっけ?」と思ってしまいますね。

その後、銀座アスターに移って立食形式の懇親会。

その後の僕は同期から「松本君、写真部だったっけ?」と問われるほどに写真撮りまくり。がだ当然写真部じゃ無い。「ただの趣味だよ」と言うしか。
まぁあとはフラットに撮影する連中がいないということや、ラインのグループはあるからそこにアルバムをアップしようという気持ちや、来てない連中に見せるため。という謎使命で撮影していました。
でもまぁただの趣味です。

  

さぁ、ここで僕のあんちょこが役に立つか、というところですが、役に立ったような立ってないような。
ぼやーっと思い返したり、そもそも勝手に脳みそが思い出していたり、でも多分役に立った。と思う。

そもそも、6年間もいるとグループが形成されるわけで、学生時代からそんなに話をしてこなかった同期と話が弾むかというとそうでもなく、自然と元からのグループへと集まっている感じがします。

 

何故か、今回の出席名簿を見るとA班(名前を五十音順で並べたクラスの前半)とB班(後半)とではB班の出席率が何となく低いような?
あくまで何となくだけど、そのことを他にも振ったらそうかも、ということだったので多分間違ってないけど、何でなんだろう?

懇親会が終わり、同期の一人が予約した神保町にある「エッジ」というバルを貸し切っての二次会。

そしてすぐ近くの店に三次会へとなだれ込み、僕は23時を回った三次会の終了で帰りました。
(うーん。珍しく雰囲気を撮らずに「みんな」を撮ったからここにアップできる写真が無い・・・)

明日が休みだから、とか遠方から来ていてホテルに泊まる予定だったり、まだ飲み足りない、話し足りないと感じた連中は四次会とか五次会とか行っていたらしい。

 

で、僕はそのB班でもあり、クラスの代表として働いていた割には影が薄かったり、あまりさらけ出さなかったって事もあるのですが、二次会、三次会では非常に下世話なネタを意味ないリサーチしたりして、方々から「松本君はそんなキャラだったっけ?」と言われてしまいました。
僕からしたらそんなキャラだったんだけど、振り返ると学生時代はそんなキャラではなかったかもしれない。
年々子供返りとオヤジ化が混在しながら進んでいるのかもしれない・・・・。

ここまでくると学生時代数えるほどしか話してなかった同期ともアホみたいにしゃべれるのはいいですね。酒の席でもあるし他愛も無い話ではあるけれど。

 

じゃぁ次の同窓会はいつに?
というと5年後だとか3年後だとか話がでていましたが、だいたい5年に一度っぽいです。

 

ただ、67歳になる学年担当の先生は、60過ぎたら2~3年に一度になっているそうで、その理由は毎年何人も亡くなっているから、だとか・・・。生存報告か・・・。