意味の無い源平合戦調べ

引き続き日本史の勉強中。

中学受験における歴史で源平合戦(治承・寿永の乱)は、平清盛vs源頼朝・義経(+木曽義仲)って感じ。戦いも一ノ谷、屋島、壇ノ浦くらい。それ全部義経のターンじゃん。
それに後白河法皇が引っかき回す的な。

実際は途中で清盛熱病で死んでるし。

それ以外の平氏や源氏はどこいった。

とはいえ、アレをまともに書いたら色々覚えられなくなりそう。

というわけで、やっぱり僕が纏めるためにWikipediaを開くページは、治承・寿永の乱のページと、頼朝と義経と義仲のページを軸に纏めてしまうわけです。テスト対策なら9割要らない情報だらけで。

 

それにしても。

義経は信長には数段落ちるとは言え人気者です。判官贔屓です。でも歴史の舞台に立ったのは約1年です。

なのに数々の書物が出ています。そのせいで実像がかけ離れているようです。

実像はコレです。

Wikipediaより

なんだこれ。
まぁ戦国時代か江戸時代の作らしいのでほぼ伝聞での肖像画でしょうけど。

で、義経に関しては「吾妻鏡」や「平治物語」「源平盛衰記」と「義経記」があるのですが、そんな義経人気のせいで、Wikipedia見ていると、義経四天王は全部合わせると10人いる。四天王なのに。

僕としては、義経物って「修羅の刻」(義経編)くらいしかしらないので、四天王というと、
武蔵坊弁慶、伊勢義盛、佐藤継信、佐藤忠信なのだけれど。

他の義経物の小説、マンガはまた違うのかな?

 

ところで、長女と勉強しているとなんとなくわかったのが、長女の感覚はマジンガーZな世代で、現実はガンダム以降なのだと。というコトを妻に言ったら「何言ってるんだ?」という顔された。そりゃそーだ。喩えが逆にバカっぽくてすまん。

どうにも長女は、良い悪い、正義と悪で二分されないと理解が及びにくくなるらしい。実際はよく言うように戦争は正義と正義、信念と信念のぶつかり合いであり、歴史はどっちが悪と断罪できない場合が多い。

蘇我馬子・蝦夷・入鹿が悪のように書かれるのは、それを倒した側が中臣鎌足、後の藤原鎌足。つまりその後の摂関政治等時代の中心にいた藤原家の始祖(正確には始祖のお兄さん)なので、後世の歴史家が藤原の正当性のために蘇我氏を悪にしたのだ、という説もあるようで。

ただ、そうなると長女はいっぱいいっぱいになるみたいで、教えるときはシンプルにした方が良いんだろうけど、どうにもこうにも・・・。

義経も、果たして梶原景時はどうだったのか。頼朝は、政子は。

 

でも、今回の治承・寿永の乱は悪いというか元凶は後白河法皇だろ、やっぱり。いらんことしすぎ、力が欲しいくせに武力で迫られたら院宣ほいほい出し過ぎ。