学生時代は、ゲーム時間でいうとまだスーパーファミコンがあった時代。大学2年あたり?でプレイステーションやセガサターンが出ました。
卒業直前にセガドリームキャストが発売され、卒業して医科歯科に入局してからプレステ2が発売されました。
大学に入ったばかり、上京したころには大学を卒業した姉の一人暮らし時代の家電や家具をもらい、足りない家電を蒲田で買ったり(当時池上にいたから)、秋葉原で買ったり。
まだ家電の街という雰囲気が残っていました。また、無線とかラジオとかそういうニッチな店も多く存在していました。
サトームセンで値切り交渉をして「あっちの方では○○円だったんだけど?」とカマかけたら店員が「じゃぁそっちで買ってください」と素っ気なく切り捨てられて、ホントにそっちで家電購入した記憶が。
だからサトームセンは潰れたんじゃねぇの?と思いましたよ。
オノデン坊やは今もいるしね。ラオックスも。
そして、ソフマップも。
学生時代は、上記ゲームや、パソコンゲームで足繁く秋葉原に通い、ソフマップなどで購入していました。今は知らないけど、当時のソフマップのエレベーター室内が汗臭くてさ・・・。
あぁ、パソコンと言えば、さすがにソフマップじゃないけどガード下あたりの店に堂々とコピーエイド(コピーツール)が売られていたなあ。おおらかっていうかなんというか、知的財産後進国というか。
プレステやサターンの登場から、急速に家電の街からゲーム・アニメの街に変わっていった気がしています。
PSやSSがCDで大容量になったことから、オープニングアニメーションやフルボイスなどが使われて、アニメや声優がオタクレベルから一般レベルに間口が広がったんじゃないか、と個人的には思っているのですが。
ただ、その頃から秋葉原の雰囲気がおかしな方向(僕的に)になっていった感じもあります。
福岡にいるイトコは、無線をやっていて、またアップルのマックが、マッキントッシュと呼ばれていた頃の機械をこよなく愛していたのですが、たまに東京に来たときに秋葉原に寄っていたようですが、その頃、僕に「もう秋葉原には用はないな・・・」と寂しげに言っていました。
アニメやコスプレ、メイドカフェといった色が強くなった頃には、さすがに僕も秋葉原からは遠ざかり、
そして秋葉原通り魔殺人事件が発生。
兄と母から電話があり「アンタ、大丈夫ね!? オタクけん(オタクだから)、秋葉原で巻き込まれとらんかと思うて」と言われたのには若干へこみました。そーだけど!
そんな秋葉原に、セミナーの合間に軽くお散歩。
全く当時と異なりますね・・・・
オノデン坊やもちょっと変わったようだし、ビルもいろいろ異なってる。ラジオ・無線・パーツの街を偲ばせる店がしぶとく軒を連ねていたけど。
裏通りに入る。
ここらへんで、マハーポーシャの激安パソコンのビラが配られていたような。
ちなみにマハーポーシャとは、オウム真理教関連のパソコンショップで信者が組み立てていたので人件費がかからずそのため激安だったのです。
上記記事の関連リンクをみて思い出した。
一度秋葉原でエウリアンに捕まったんでした。シルクスクリーンの絵を買わされそうになりましたよ。あの頃はまだかろうじて純粋だったなぁ。
メイドさんやケモミミさんや、ふっくらとしたうちはサスケさんやらが裏通りにはいました。
そして、なにやら8ビットな音楽が聞こえてくるのでその方向を見たら、レトロゲームショップ発見。吸い寄せられるように中へ。
ファミコン、スーファミ、ゲームボーイ、メガドライブ、PCエンジン、プレステ、サターン、ドリキャス、プレステ2などなどのソフトや本体が。
バーチャルボーイが稼動して、誰だか一生懸命遊んでいました。
ついついエミュレーターで遊ぼうと、セガサターンソフトと、プレステ2のソフトを購入。
ゲーム&ウォッチがやたらと高額で売られていてびっくり。
僕の手持ちのも高値で売れるかな? かなりガワがやられていたり、電池のフタが無くなって自作しているからなぁ・・・
最上階ではレトロゲーム、というほどレトロじゃ無かったけどゲームセンターが。
天地を食らう2で遊びました。当然のように下手になっていた・・・。
そしてほくほくしながら、セミナー会場へ戻ってマイクロスコープの話を聞いたのでした。