十七回忌の佐賀11-肥前さが幕末維新博覧会-序・佐賀の七賢人-

続き

くどいですが、8月に入っているけどこれは7月15日の話です。

 

兄貴の患者さんが肥前さが幕末維新博覧会の関係者らしくチケットあるよ、と渡してくれた。

この幕末維新博覧会は、維新150周年ということもあり、県全体で盛り上げているようです。
なので、結局行けなかったけど、佐賀城本丸歴史館もだし、徴古館や、旧古賀銀行などでも、はては唐津や鳥栖にサテライト館を作るくらいに。

で、チケットは幕末維新記念館とリアル弘道館、葉隠みらい館の3つがいけるチケットでした。

 

ところで、僕の幕末維新の知識は、司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」をベースに派生していく感じなので、維新の功労藩として薩長土肥と言われるけど、
薩長の活躍は当然のこととして、土佐は上士と郷士でもめていたから遅くはなっても坂本竜馬や中岡慎太郎、板垣退助らが維新前後でいたのでわかる。
坂本竜馬が実は使いっ走りレベルだろ、司馬遼太郎持ち上げすぎとかの意見もあるけど、
でもなにより「竜馬がゆく」がベースになっている以上、土佐もメインストリームじゃ無いとしても外せない役柄になっているし。

ところで肥前。お前は何かした??

という意識でしかありませんでした。

それは肥前さが幕末維新博覧会でその知識は一応覆されるわけです。
「一応」というのは佐賀が主催しているから肥前さがを中心に描くことになるし、「人物」としては脇の主役って感じではあるので。

さて、後で書く「リアル弘道館」や「幕末維新記念館」で100%主軸となるのが「佐賀の七賢人」。
これも僕はそういう賢人がいるらしいね。程度。

というわけで。

  1. 鍋島直正
    十代藩主、開明派。世界との差、清国の惨状を知り、日本内部で争っている暇は無いと、破綻している藩財政を財政改革させ、弘道館(藩校)を大幅拡充し、人材を発掘、登用し、また蒸気機関と鉄製大砲の開発に力を入れ、初の国産で実用に耐えうる蒸気船や、鉄製大砲を作らせた。
    国内における天然痘根絶の先駆けとなった。
    攘夷論と開国論を使い分けるコウモリ。というかそれぞれメジャーな派から距離を置いていた。
    なので薩摩から佐賀討伐が出かかったが、維新がなるや薩長につき政府討伐にアームストロング砲などの新鋭武器を使い大きく貢献した。
    この人がいないと七賢人は存在しない。はず。
  2. 佐野常民
    弘道館出身。有名どころの塾に通う。伊東玄朴の塾頭になる。勤王運動に傾倒しそうになり佐賀に呼び戻される。
    佐賀藩の精錬方頭になる。三重津海軍所の監督になる。日本初の蒸気機関車の模型を作る。
    日本初の博覧会を副総裁として湯島聖堂で開催させる。
    日本赤十字社を創設する
  3. 島義勇(しまよしたけ)
    弘道館出身。蝦夷地・樺太の探索調査をする。そのため蝦夷地開拓のトップに。札幌を作る
    江藤新平と供に佐賀の乱(佐賀の役、佐賀戦争)を起こし、最終的に斬首となる。
  4. 副島種臣
    弘道館出身。尊皇攘夷思想。博学。大隈重信と供に脱藩するが捕まって謹慎処分。
    1871年、外務卿(外務大臣)になる。
    1892年、内務大臣になる。
    書家でもあり、佐賀新聞の題字はこの人。
  5. 大木喬任(おおきたかとう)
    弘道館出身。尊皇攘夷思想。
    明治新政府後、東京府知事(第2代)、民部卿、初代文部卿、司法卿と歴任。
    枢密院顧問、枢密院議長なども。
    明治の六大教育家の一人。
  6. 江藤新平
    弘道館出身(途中まで。親父が駄目親父だったから)。尊皇思想で開国派。幕末に脱藩し、通常は死罪だが頭良くて勿体ないから無期謹慎に。寺子屋やりつつ政治活動する。
    大政奉還後、謹慎解除。
    戊辰戦争で東征大総督府軍監に任命。また、彰義隊を追い詰めアームストロング砲による遠距離射撃を指揮し壊滅に追い込んだ人。
    初代司法卿。学制の基礎固め、四民平等、警察制度整備など近代化政策を推進。
    民権論者で官吏の汚職に厳しく山県有朋や井上馨を一時辞職に追い込んだ人。
    佐賀の乱(佐賀戦争)首謀者の一人。破れ、逃亡中に自らが制定した手配写真のために捕まる。自分が制定した写真手配制度で捕まった第一号。そして晒し首にされる。
    なんか行動が早くて血の気が多い人。
  7. 大隈重信
    弘道館中退、その後蘭学寮に。尊皇派。一度脱藩して捕縛謹慎。
    維新後は、外国事務局判事になったり富岡製糸場の設立決定したり、大蔵卿になったり。
    下野して早稲田大学設立
    外務大臣就任。
    薩長藩閥以外の初の内閣総理大臣就任。もっとも4か月で総辞職。一度引退して16年後に再び総理大臣に(第二次大隈内閣)

というのがwikipediaから抜粋した佐賀の七賢人。
結局、弘道館が全て絡んでいることから、鍋島直正公の功績は大きい。ただし、直正公が幕末の頃は力を持ちつつ距離を置いていたためか明治維新という歴史の華々しい転換点には表に殆ど出ず、維新後に活躍している雰囲気ですね。

征韓論(朝鮮を武力で開国しよう)争で敗れた副島種臣や江藤新平が下野し、その流れと佐賀の不平士族とがからんでいつの間にやら江藤と島が佐賀の乱の首魁になってしまって、内戦勃発して、それぞれ斬首の憂き目に遭うのですが、佐賀の乱の項目を読んでも内戦が起こるまでの流れがよくわかりませんでした。いろんな不満が渦を巻いて一つの形として噴出したような?

佐賀県側は、佐賀の乱という「乱」だと一方的悪者扱いなので、佐賀の役とか佐賀戦争と称しているようですが、さっぱりわからん。

 

で、最近は一人増えて八賢人となっているようですが、その

枝吉神陽(えだよししんよう)
副島種臣の実兄。思想家。義祭同盟という結社の発起人で、その義祭同盟から七賢人も多数輩出し、水戸の藤田東湖と並び「東西の二傑」と称される。
が、コレラで41歳で逝去している。

という人らしいのですが、今回の幕末維新博覧会ではあくまで七賢人。もっと長生きしていたら正式に八賢人と称されていたのかも知れませんね。

 

実は、そんな人材豊富な佐賀県でした。江崎グリコや久光製薬の創業者も佐賀県人ですしね。他に、森永製菓、読売新聞、リコー、三菱鉛筆などの創業者も。一応ソフトバンクの孫正義も(嫌い)。

 

とまぁ、東京の人が東京タワーに実は登ってなかったりするように、佐賀県民も実は佐賀の偉人や功績を知らないという感じか?僕だけか?
そんな「肥前さが幕末維新博覧会」で佐賀を探そうってな感じ。

続く

 

おまけ。佐賀県の七賢人PR動画