十七回忌の佐賀06ー佐嘉神社と松原神社 前ー

続き

武雄から佐賀市内へ移動したけど、まだ時間は9時半とありまくり。

市内を中心に現在佐賀は「肥前さが幕末維新博覧会」をやっています。
佐賀城本丸歴史館を久々に見ようと思ったけど、そういえばこの博覧会のチケットを兄貴がくれるということだったので、間違いなく佐賀城本丸も絡んでいるだろうから行くのは後にしよう。
(結果として行けませんでした。失敗)

なので実家の、というか兄貴の歯科医院の駐車場に駐めて、と思ったけどそこから歩くの暑いから、近くのコインパーキングに駐めて、佐嘉神社と松原神社に行きました。

松原神社横。先日の豪雨で冠水した道路で鯉が泳いでいたという動画があった場所。確かにデカい鯉が堀にいました。

この二つの神社は、一つ一つだけど繋がっています。バロム1です(違う)
それどころか神社が中で増殖していました。僕が気づいていなかっただけで実は前からなのかなぁ?

 

佐嘉神社は御祭神に佐賀藩十代藩主鍋島直正公です(のちに十一代直大公も合祀)。これは後、「佐賀11」あたりで書く「肥前さが幕末維新博覧会」の主人公?である佐賀の七賢人(最近八賢人というのもある)筆頭です。この人なく七賢人は存在しない。大隈重信も早稲田大学を作らなかったかもしれない。早稲田大学がなかったらスーパーフリー事件もなかったかもしれない・・・・はないな。あーゆーのはどこかしら起きるか。

 

松原神社は御祭神に佐賀藩祖鍋島直茂公となっていますが、他にも佐賀藩の前の龍造寺家の面々(龍造寺隆信・政家・高房)や初代鍋島勝茂公も御祭神となっています。なかなか厄介な匂いがします。

というのも。

僕のここら辺の知識は隆慶一郎氏の絶筆「死ぬことと見つけたり」に偏るのですが、
そういえば有名SLG「信長の野望」シリーズでは最初の時代を選ぶと佐賀あたりは龍造寺隆信です。
鍋島直茂は龍造寺隆信の配下だったのですが、
「死ぬことと見つけたり」では龍造寺隆信が負けるはずの無い戦で負け死に、嫡男の政家は遁走。隆信の後継者がそんなんだったからこのままじゃヤバい、竜造寺家の重臣達は経営・統治能力の高い鍋島直茂が継いでくれよ、ということで鍋島佐賀藩が出来たっていう感じ。
そこで、直茂・勝茂親子は、隠然たる勢力を持つ龍造寺家の力を削ぐために、佐賀藩を守るためにという名目で龍造寺家に拠出させるわ、三支藩に分けるわと、龍造寺家の力を削ぐ分、恨みが募る政略をしたということらしい。(5回くらい読み直しているけどうろ覚え)
そのため、ろくろっ首伝説や化け猫騒動が出来たらしい。
そんな直茂・勝茂親子も、彼らに特に恨みのある龍造寺政家・高房も祀られている松原神社ってカオスだろう・・・?

というのが僕の知識。「死ぬことと見つけたり」は「葉隠」にあるエピソードから二人の人物を主人公に再構成したほぼフィクションで、「主君に切腹を申しつけられることこそ武士の本懐」という狂気が根幹なので、勝茂に仕えているからこそ、彼に問題があるにはあるけど、ある程度名君にしないと話にならない。
だからある程度は史実なんだろうけど真実は・・・?

あー・・・書いていてまた読み返したくなった。

が、相変わらず紙媒体は文字が小さいのでkindleで購入。現在「北方水滸伝」を途中にして読書中。

 

中 へ続く