修理に次ぐ修理

サクラ歯科医院は、ヨシダのユニット(治療用の椅子)を使っています。
よく壊れます。というと怒られそうですが。
たぶんわずかな例外を除いて、どこの会社のもチョコチョコ壊れると思うんですよね。
やれセンサーだなんだってどんどん複雑性が増しているから。

でもって10年も使うとガタがでまくりで、
唾液や余剰な水を吸うバキュームというアシスト側が主に使う機構が一つのユニットで吸わなくなりました。

で見てもらったら弁の調子が悪かったり、そもそも内部機構のホースに汚れがこびりついていたようです。10年分の垢ですね。

となると、一昨年追加したユニット以外の4台は全部そんな感じだよねぇ、ということでホース全とっかえをお願いし、昨日仕事が終わった夜に全とっかえとなりました。

 

と、ちょこちょこと交換したりしていますが、大本があとどれくらい使えるのかなぁ・・・・

 

という事案は人にも言えて、ご高齢の患者さんの治療で悩むことが多々あります。
いつまで生きられるかなぁ、このままこの歯、墓場まで持ってけないかなぁ・・・
治療した方がいいのは間違いないけど抜歯はするし、入れ歯は新調するし大がかりになるし、治療しなくても不足なく使えるなら何度も通わせずに下手に扱わずにいたほうがいいんじゃないかなぁ・・・、
とかいって様子を見ているうちに悪化して、患者さんの体力も低下して、
だったらあの時お元気なときにがっつり治療してれば良かったかなぁとか後悔しないかしら・・・とか、

自費のいいの入れたって何年使えるかなぁ・・・・でも、いいのがやっぱりいいから気持ちよく使えた方がいいよねとかも。

なんてこと、割と素直に患者さんと話します。これも一つのインフォームドコンセントとして。・・・のはず。

絵本

どういうきっかけなのかサクラ歯科医院にはフリーでお持ち帰りOKの「絵本のある子育て」という冊子を置いています。

その会社から電話があり、「お礼に絵本を寄贈したい」ということで、ちょっと状況を飲み込めなかったので改めてお聞きしたら、
「絵本のある子育て」のフリーペーパーでそのことをしり、後ろのページにある定期購読申し込みをした方が、この本をどこの医院で知ったかという欄があり、サクラ歯科医院からという方がいたということで、そのお礼として絵本を寄贈したいということだったのです。

いや、こちらこそ無料で置かせてもらって、その上でさらに絵本を寄贈してもらうとかありがたい限り。

 

その後、三冊寄贈されたのですが、ウチが歯科医院だからか、三冊のウチ一冊が歯科に絡んだ絵本でした。

「わにさんどきっ はいしゃさんどきっ」(五味太郎)

歯医者が怖いわにさんと、わにが怖い歯医者さんの、立場が異なるけど言葉は全部一緒でありながら物語が完結する絵本でした。

まぁ・・・歯医者さんが怖いって設定の絵本を歯科医院に置くのも実際問題どうかな?と思わないでもないのですが、最後に、だから歯磨きを一生懸命やるというオチなので。

死後

ふと。

とりあえず死んだら肉体から魂が離れて、しばらくしたら(49日?)成仏する、という一般的な宗教観が前提として。

だいぶ昔、丹波哲郎の霊界本にハマったことがありまして。それによると死んだら肉体?精神体?は健常に戻ると。
だから、自殺スポットというのは、死ぬために自殺したのに案外健常な状態だから死を認識できなくて、また死のう、として魂の繋がりが弱い人に取り憑いてもう一度自殺するのだ、とか。

懐かしくて実家から持ってきちゃった。

まぁ、いろいろ今考えると突っ込みドコロがたくさんある本でしたが。

丹波モノとは関係なく死んだ後、死ぬまでの記憶はどうなってるんだろうと思ったのです。
よく、往生だろうと事故死だろうと幽霊となってキャラクターがウロウロしたりオロオロしたりするシーンがマンガやドラマとかでありがちですが。

たとえば認知症の人、昔のことは覚えていても直近のコトを覚えてないとか、そうなると、死んだ後の魂というか幽霊というか、その人?は、記憶はどうなってるんだろう?
70歳くらいから認知症が始まって80歳くらいで無くなったとして、その間の覚えていない記憶は、死んだ後に記憶が補完されているの?
死んだ後にも認知症の期間の記憶がない?場合は、もし死んでも認知症なら救われないし、精神体が健常に戻ったとしたら、欠けた記憶で悩みそうなのだが?
もし死後に認知症期間の記憶の欠損が補完されたとしたら、成仏するまでの間?それとも成仏しても? 「なんかすげぇ迷惑かけてたなぁ・・・」と煩悶しそうな・・・。

 

なんて、まーったく考えることすら意味の無いようなコトをなんか考えていました。
羽田沖日航機墜落事故、いわゆる片桐機長の逆噴射の事故?事件?も丹波モノによると霊の仕業になっているのでもやもや考えちゃったんでしょう。

治す、ということ。

インフォームド・コンセントとは説明と同意とか言われていまして、究極的にはその病気の状況に対する説明と予後、病気に対する考え得る全ての治療法、そしてその各治療法に対する利点欠点、予後、を偏り無く説明し、患者さんに選択させることになります。

対して、パターナリズムといって、患者の選択ではなく立場の強い医療者が(良かれと思って)患者の利益に介入、干渉する行為のことですが、良くないやり方と否定されています。

が、パターナリズムが絶対に悪いのかというとあまりそうは思っていません。インフォームド・コンセントが絶対に良いとも思っていません。
多岐にわたる選択肢から素人である患者さんが自分の意志だけで選択できるのか、という疑惑がどうしてもあります。実際にインターネットで調べた結果情報に溺れてどうしたら良いのか判らなくなった患者さんもたくさんいます。
また、こちら側がパターナリズムほどじゃないにしても全くの私情を挟まず、全て平板に説明できるかというとそれもかなり難しいと思います。

いろいろ読んでいると今のところ僕は状況と治療法、予後、利点欠点の説明はできうる限り行うけれども、ある程度の選択肢をガイドする程度のパターナリズムも必要なんじゃないかと思って、患者さんには説明を行っているつもりです。若干の強弱をつけながら。

あと、これが良い、抜歯しか手がない、とこちらが判っていても、そしてそれを患者も判っていても感情的にそれを肯んじられない、という場合があります。
そこで、でもあなたにとって抜歯しか手がない、極論を言えばお前の感情なんざ知ったことか、それしかないんだ。と言えるのかというと、これもまた言い方や、最良であり患者にとって最悪の手を選択する決断をしてもらう時間的猶予を与える逃げ道を作ってあげる必要もあると思います。

 

だから、数年前からよく「当院では口腔一単位の治療を心がけています」なんて文言が踊っていますが、僕は口腔一単位なんて狭い領域程度の治療で良いの?と思ってしまいます。
僕は口腔一単位の治療が目的では無く手段として、患者の心を治したいと常日頃思っています。やれているかどうかは判りませんが。

 

そんな風に考える根底にあるのは、マンガです。
職人マンガでは、その人にとって、その人の心にとって最良の食事で、ワインで、酒で、自転車で、絵で、音楽で、写真で、道具で、
その人の病んでいた心を癒やしていきます。
所詮、ご都合な絵空事ですが、その絵空事は人の理想です。
その理想に向かって前へ進むことは到達できないことかもしれないけれど、進むべき価値のあることだと思っています。

 

佐賀3-北島の丸ぼうろ-

佐賀の銘菓の一つに丸ぼうろがあります。
当然のように家にはあったので、あまり銘菓というイメージは僕にはありませんが。

 

結構たくさんのメーカーが丸ぼうろを作っています。有名どころで、村岡屋、鶴屋、本村製菓、そして北島。それ以外も検索したらえらい出てきた。ナニコレ。

それぞれ味付けや食感が微妙に異なり、好みの問題としか言えないのですが、松本家は北島の丸ぼうろ推し。
全比較したワケじゃ無いけど、北島の丸ぼうろは卵の味わい(甘さ?)がやや強めで、またある程度日が経っても比較的柔らかさが残っているんですよ。

  

そして僕は丸ぼうろより花ぼうろ推し。

 

そして北島には何店舗かあるし佐賀空港にも当然のように買えるのですが、白山本店では「おやつ丸ぼうろ」「おやつ花ぼうろ」があります。
いわゆるB品ですね。品質には何の問題もないけど焼きムラがあるとかで安い。包装も簡易。そして無くなったらおしまい。

オススメ。

佐賀2-モデラーズ松永-

白山文雅を後にして、近くに懐かしの店が見える。旧「松永模型」。小中学生の頃、ここに行って戦車やバイク、車のプラモデルを作っては親父の松本歯科医院に飾ってもらってました。何故かお駄賃もらって。親心かしら。

だいぶ前から松永模型からモデラーズ松永に名称変更していたのは知っていましたが入ることも無く、が、今回は少しだけ余裕があったので入ってみました。中学生の甥っ子と一緒に。

 

甥っ子はモデルガンが好きみたいです。僕はガンプラ。

店の中央に、昔はででーんとミニ四駆のレース場が置いてありましたが、今はNゲージがありました。公式ページを見る限りモデルガン(サバゲー)と鉄道模型で有名みたいですね

   

それにしても置いてあるラインナップが硬派の模型店ですねぇ。いわゆるフィギュアの類いはぱっと見なくて、普通の艦船のプラモデルに申し訳程度に艦これの何かがあったくらいです。
こういう硬派な模型店は生きづらい世の中かも知れないけれど頑張って欲しいです。
とか言わなくてもそうやって何か有名店みたいなので問題ない雰囲気?

佐賀1-白山文雅-

実母の三回忌に佐賀へ行ってきました。
もっとも、土曜日の午後の診療を休んで14時半の羽田空港行きのバスに乗って19時25分発佐賀空港21時30分着。が、空港の混雑や向かい風で佐賀に着いたのが22時。
それから佐賀駅バスセンターに着いたのが22時半。
翌日の日曜日の午前中に三回忌法要を行って、墓参りして昼食食べて兄貴の家で犬と戯れて、15時55分佐賀空港発(実際は使用機到着遅れで16時20分発)だったので、
佐賀に居たのは16時間だけ。

実家の近くで佐賀城下ひな祭りが始まっていたんだけど、残念ながらマンネリ化しているので時間も無いから今回はパスしました。

僕ら家族が佐賀に行くたび、兄貴が食事するところを考えてくれるんだけど、前回は実家近くの春駒さんだったり、有名な井手ちゃんぽんだったり。

今回は、佐賀のフランス料理といったら「シャトー文雅」。その・・・・・・あれ??

 

「白山文雅」は佐賀のフレンチの老舗、欧風カレーが有名です。なので小さいときに白山文雅に行き、好き嫌いが酷かった子供時代、それでも食べられたカレーを頼んで出てきたライスに大嫌いな(今でも)レーズンが乗っていて大泣きした記憶があるのですが、
その白山文雅にランチを予約して連れて行ってくれました。

上記で「あれ??」と書いたのは、白山文雅の公式?ページに、「※シャトー文雅と別会社になります」て書いてあるのにあれ??と思ったのです。
確かにカレーの缶詰のラベルがシャトー文雅と白山文雅で違う・・・
一緒だと思っていたのですが・・・・何かあったのでしょう。兄貴に聞いてもよくわからないとのことでしたが、昔は同じだったようです。

で。

その白山文雅。カレーがメインになっているようですが、やっぱりレーズンがありました。何でレーズンなんだろう・・・。

前菜の後、二色カレー、デザート、飲み物。

  

その二色カレーは確か8種類から選択で、僕はビーフカレーと辛口ジャワカレーを選択。妻も同じ。ホントは辛口ジャワじゃなく辛口タイカレーを頼もうかと思ったらしいのですが、フレンチの、欧風カレーの老舗なのにタイカレー?というのもあり、選択をやめたらしい。

シャトー文雅と別会社だからといって、カレーの味が違うのかどうかなんてそこまで食べ比べてないからわからないけど、当然のように美味しいです。肉軟らかーい。味ふかーい。

最初でてくるライスは、一口サイズで、なんじゃこりゃ?と思ったけど、その後はご飯はつぎ放題となっています(銀の入れ物にご飯が入れてあります)。だったら最初からもう少し多めにライスをついでくれていてもいいような気がするけどなぁ・・・

レーズンは、隣に座っている甥っ子にあげました。なっさけなーい。

それにしても、すごく並んでいます。もともと小さい店なので席数も少なく、僕ら二家族計10名がいるので尚のことなのですが外までずらりと列が。
すごいことです。

 

しかし・・・小さいころに行ったときだってレーズンは乗っていただけだったはずだと思うんだけど、レーズンどければ良いだけなのに何で号泣したんだろう・・・ってウチの子供の小さい頃見てればそんなもんかな??

帰省・行く・帰る・戻る

今日、2月10日(土曜日)は午後から院長、副院長は休診です。
理由はというと、僕の実母の三回忌で佐賀に帰省するからなのですが・・・・

 

ちょっと違う意味で気になったので「帰省」の意味を調べたのですが、
帰省とは、「故郷に帰って親の安否を気遣う・見舞う」という意味だそうで、そうなると父母共に他界している僕の場合は帰省とは言わないようです。

確かに、母が亡くなってから、帰省するという意味合いは、単に実家に帰ったではなく、親がセットでいることが帰省だなと実感はしていました。
親のいない実家に帰っても帰省という感じはありません。
もっとも、親が生きていたとして佐賀の老人ホームに移り住んだとして、そこに安否を気遣いに行くことが「帰省」というのかというとどうなんでしょうね?

 

さて、僕がちょっと違う意味で気になったというのは、僕は東京に出て約25年と、佐賀に居た年月より東京に居る年月の方が長くなっていて、小金井で開業して家庭の基盤もある、という状況で、「佐賀に帰る」のか、「佐賀に行く」のか、少し言い回しが気になっているのです。

さすがに「帰る」ではないんですよね。とはいっても「行く」と言うのも故郷に対して冷たいような?という気もして。

 

また、言葉にして気づいたようなものですが、妻に対する気遣いというのも微量ながら含まれているかもしれません。

なにせ、「帰省」でグーグル検索かけると、意味もありますが、割と妻が一緒に帰省したくない、嫁姑いじめが・・・とかそういうページが出てくるのですよ。
母は生前、東京で病気の手術をした都合上、検診で数ヶ月に一度1週間ほどこっちに来たりして、別に嫁姑の関係が悪いと言うことは全くもってなかったのですが、とはいえ気疲れは当然のようにあったようで、
そういう意味では、ことここに至って「佐賀に帰る」という言い方は妻に悪いかな、という気持ちもあったんだなぁと今更ながら思ってみたり。

 

さて、佐賀に行って、佐賀から東京に「帰る」のか「戻る」のか?
これ、グーグル検索すると興味深いことがわかります。
帰る、戻る、の違いに悩んでいるのは日本語を勉強している乃至は日本語を使う必要のある外国人が多い、ってことです。

いや、僕今結構悩んでいるんですけど。
帰る、というのは本拠地へ移る
戻る、というのは状態や性質が元のようになる
という意味合いがあるらしいので、東京が本拠地ではあるので、「東京に帰る」で間違ってないと思いますが、佐賀に生まれて佐賀で育った身としては「東京に戻る」という使い方は間違っている・・・のか?

なんとなくのニュアンスで使っているけど、これをちゃんと意味として気にして使い分けようと外国人が真面目に考えちゃうとかなり大変な気がしますね。

オーラバトラー戦記

世代的に機動戦士ガンダム、俗に1stガンダムと呼ばれる世代なのだけど、その世界に入ったのは小説からです。
何故なんでしょうね。

アニメを50数話見るより小説の方が早いからなんですが、ガンダム小説は監督である富野由悠季氏が書いていますが、中身はかなーり違います。
民間人だったアムロ・レイは新人の軍人だし、セイラ・マスとはデキてしまうし、ハヤト・コバヤシは死ぬし、ジオンのガウ攻撃空母は宇宙を飛んでいるし、全3巻の3巻目の途中でシャアと解り合った直後に打たれて死ぬし。その遺志を受けてカイ・シデンがニュータイプ化しちゃうし。
そんなんだからアニメ準拠の小説版Zガンダムでは冒頭に小説版ガンダムとは繋がらないよと注意書きがあるくらい。

なので。

同じく富野由悠季監督のアニメ「聖戦士ダンバイン(音出ます)」のノベルズ版とも言えない大幅改編の「オーラバトラー戦記」もこれを読んで聖戦士ダンバインがわかるわけではなく。

15年以上前に買った小説を、kindleで買いなおして今読んでいます。角川版全11巻中今2巻。
北方水滸伝も併せて読んでいたのですが、アレ、熱すぎて連続で読んでいると疲れるんですよね・・・。

主人公城毅(ジョウ・タケシ。通称ジョク)は大学の休みを利用して飛行機のライセンスを取得するためロスに行き、観光に来ていた後輩の田村美井奈に出会い、バイクで事故に巻き込まれた瞬間、オーラロードに乗ってしまいバイストン・ウェルという中世風の異世界へ転移する。3年前に同じく転移したアメリカ人ショット・ウェポンから聞いた話ではバイストン・ウェルは地上の人たちの想い、夢、妄想からできた世界だという。そのオーラに満ちた世界で、呼ばれたジョクはバイストン・ウェルの人たちよりオーラを扱う力が強く、その世界で生き抜くために聖戦士として戦いに巻き込まれていく・・・・

 

ふと。

あれ?これって最近ラノベでお腹いっぱい設定の異世界転生モノじゃねぇ?
読んだこと無いから思いっきり殴られそうな偏見だけど、
最近のラノベのテンプレって、
現実世界で冴えない普通の人が何かをきっかけ(たいがい事故)で中世風で魔法もありありの世界へ転生して、
しかも、その世界は作家の基本ゲームや既存のファンタジー小説をベースにした浅い知識で構成された世界観だから矛盾やご都合も多く、
その上冴えない主人公は転生したときになぜか皆が一目置く程の能力も付与されているか、冴えない人生経験でも優秀扱いされるくらいその世界のレベルが低く、しかも美女からモテまくりハーレム状態という、
書き手と受け手の絶対不可能理想的妄想を書きなぐった安っぽい小説もどき、というイメージなのですが、

 

オーラバトラー戦記におけるジョクもそこの世界の人たちよりオーラ力が強い(この世界に呼ばれて生きている地上人はオーラ力がそもそも強い)し、お姫様に一目惚れされるし、このバイストン・ウェルは人の妄想から生まれた世界だから、あくまで中世「風」であり時代背景にそぐわなくてもOKというある意味いい加減な設定が許されている。
ありゃりゃ、最近の異世界転生モノと同じじゃないですかい。
ただし・・・多少チートっぽい部分はあっても、かなーり意にそぐわない生死の狭間にいる過酷な人生歩まされているので、羨ましくも何ともない境遇なのが異なりまくりなのですが。

 

1983年放映の聖戦士ダンバイン、そして1986年連載開始のこのオーラバトラー戦記、こんな30年前に異世界転生(正確には異世界転移)モノを富野御大がと思うと先見もいいところですが、案外こういう異世界転生、異世界転移モノって昔からあるようですね。

ブックオフに異世界召喚、転移、転生ファンタジー小説の年表なるものがありました。

もっともこれによると80年代は年に2~3冊刊行される程度ですが、徐々に増えていき、2015年にはこの年表だけでも200冊以上も刊行されている。タイトルも気持ち悪いし二番煎じどころじゃない粗製濫造の誹りは免れ得ないでしょう。読まないと批判も出来ないけど、多すぎるしタイトルや表紙絵からこれっぽっちも読む気が起きない・・・。

 

そしてオーラバトラー戦記は最後の方は「皆殺しの富野」の異名を遺憾なく発揮するんだけどね・・・。

東京農工大学科学博物館-繊維機械展示室-2-

糸を全自動で作って、その糸を使って布地を作るわけですが。

縦糸と横糸を組み合わせて布地にするのです。その縦糸と縦糸の間に横糸を滑り込ませるのですが、手間がかかる、らしい。

で、このバッタン機というのが、横糸をさくっと往復できる優れもの。木製なのに。


これが産業革命の引き金になったとか。生産性は従来の10倍!

木製の楕円形の入れ物の中に横糸を巻き付けてあるものが杼(ひ)と言うのですが、それがジャコーンジャコーンと動くことで織られていくのみたい。

そしてその杼の中にある横糸が無くなると、機械を止めて杼を交換してまた動かしていく。

それを豊田織機の豊田佐吉親子が機械を止めること無く杼を自動で補給して布地を作っていくのがこの機械。
やっぱりアナログ。

 


手動での機織りが、自動になって、杼の交換を無停止でやれば更に生産性が向上するのは現場にいたら誰でもわかることでしょうけどね、普通凡人は「でもしょうがないじゃない、そんなもんでしょ」でおしまいだと思うのですよ。でも、更に踏み込んでどうすれば自動で交換できるのか、無停止で行けるのか、交換のタイミングをどうやって検知するか、
たぶん寝ても覚めてもそういうことばっかり考え続けて限界を突破するんでしょうね。

そういう限界突破で時代が動く、その分野上の偉人ってなんて変態なんでしょう(褒め言葉)

ボランティアの方が熱く説明することに共鳴するように僕大興奮。

 

そして、布地に柄を自動で入れ込むですよ。縦糸と色違いの横糸を、折り込むタイミングを違えることで表面に出てくる色の量から柄を浮き出させる方法。
従来は横糸を入れる人と、上で引っ張って調整する人の二人体制でやっていたらしいですが、
この機械は、自動。

 


そのタイミングはパンチカードによってのタイミングのプログラムですよ。キモチワルーイ(褒め言葉)

 


そして、更にこの機械は、横糸を通す杼での生産性の限界を突破した、横糸をジェット水流で通すってまったく意味がわかんない謎構造で生産性の向上を図った機械で、

ただコレは綿糸とかでは水で布地が縮むので化繊にしか使えないらしく、では、と水じゃ無いエアージェットで横糸を通すというやっぱり意味がわかんない謎構造で改良した機械。


織機なんてほとんど興味対象外でしたが、その織機の進歩の歴史の針を大幅に進めた偉人がいたかと思うとゾクゾクしますね。どんな脳みそしてんのやら。

 

 

ふと・・・こうやって、そのジャンルの歴史を始めた偉人、ライト兄弟とかエジソンとか。安藤百福も?
もしくはその歴史の針を大幅に進めた偉人、時計だとブレゲとか? ゲームだと横井軍平? マンガだと手塚治虫?
とかいって、あまり歯科の歴史を知らない自分に気づいた。

たとえばコンポジットレジンを開発した人は?
そのコンポジットレジンの固まる仕組みの化学重合型から光重合型にした人は?
歯科理工学で習ったかなぁ?

そういえば父はこういうのが気になったのか日本歯科医”史”学会に入っていたんだっけ。

これだけ自分の仕事でお世話になっているのに、その歴史の転換点となる人たちを知らないのはもしかしてマズイのでは・・・?

 

ところでこの科学博物館、他の階にも展示室があるようで、時間があったら行ってみようかな。