治す、ということ。

インフォームド・コンセントとは説明と同意とか言われていまして、究極的にはその病気の状況に対する説明と予後、病気に対する考え得る全ての治療法、そしてその各治療法に対する利点欠点、予後、を偏り無く説明し、患者さんに選択させることになります。

対して、パターナリズムといって、患者の選択ではなく立場の強い医療者が(良かれと思って)患者の利益に介入、干渉する行為のことですが、良くないやり方と否定されています。

が、パターナリズムが絶対に悪いのかというとあまりそうは思っていません。インフォームド・コンセントが絶対に良いとも思っていません。
多岐にわたる選択肢から素人である患者さんが自分の意志だけで選択できるのか、という疑惑がどうしてもあります。実際にインターネットで調べた結果情報に溺れてどうしたら良いのか判らなくなった患者さんもたくさんいます。
また、こちら側がパターナリズムほどじゃないにしても全くの私情を挟まず、全て平板に説明できるかというとそれもかなり難しいと思います。

いろいろ読んでいると今のところ僕は状況と治療法、予後、利点欠点の説明はできうる限り行うけれども、ある程度の選択肢をガイドする程度のパターナリズムも必要なんじゃないかと思って、患者さんには説明を行っているつもりです。若干の強弱をつけながら。

あと、これが良い、抜歯しか手がない、とこちらが判っていても、そしてそれを患者も判っていても感情的にそれを肯んじられない、という場合があります。
そこで、でもあなたにとって抜歯しか手がない、極論を言えばお前の感情なんざ知ったことか、それしかないんだ。と言えるのかというと、これもまた言い方や、最良であり患者にとって最悪の手を選択する決断をしてもらう時間的猶予を与える逃げ道を作ってあげる必要もあると思います。

 

だから、数年前からよく「当院では口腔一単位の治療を心がけています」なんて文言が踊っていますが、僕は口腔一単位なんて狭い領域程度の治療で良いの?と思ってしまいます。
僕は口腔一単位の治療が目的では無く手段として、患者の心を治したいと常日頃思っています。やれているかどうかは判りませんが。

 

そんな風に考える根底にあるのは、マンガです。
職人マンガでは、その人にとって、その人の心にとって最良の食事で、ワインで、酒で、自転車で、絵で、音楽で、写真で、道具で、
その人の病んでいた心を癒やしていきます。
所詮、ご都合な絵空事ですが、その絵空事は人の理想です。
その理想に向かって前へ進むことは到達できないことかもしれないけれど、進むべき価値のあることだと思っています。